幼稚園の企画でがっつりメイクにミニスカでダンスした。
ここは幼稚園。 こんなにやっちゃっていいのかな〜? なんてはじめるときは、いつも恐る恐る。 それなのに、一度その壁を越えてしまえば、そこにはいつも楽しさしかなくて 一旦始まってしまえば、子どもをそっちのけで踊る母たちの姿に
「まったく、またやってるよ」というような顔で見守る子どもたち
こんな時いつも思う。
こうして母が身軽になってけば 子どもも自由で軽くなるんだよな〜
と
母という生き物は大概 子どもを身ごもったその瞬間から勝手に「いい母像」を掲げて
無理して頑張ってみたりするのだけれど そんなのホント微塵もいらなくて子どもはいつも 「ありのままでいること」を受け入れてくれている存在だ
むしろ、勝手に背負い込んで重くなっているものを押し付けられて、子どもしんどいだけだろうと思う 実際、以前の私もそうだった 勝手に背負い込んで、パンクして、ぶちまけたりしてみて
今思えば、そんなの、迷惑以外の何ものでもなかった
まぁ、そうやってパンクすれば謝って
無理なことは無理といって
その度に子どもにいろいろなことを受け入れてもらって 気づかされて今がある そのプロセスの中で私は 子どもがありのままでいることを受け容れる 自分の器みたいなものを築いていった
「母はこういう人」「子どもはこういう人」 それをお互いに受け入れ合う その信頼関係さえ築けてさえしまえば、あとはもう母はどこまでに自由に羽ばたいていけばいいし、羽ばたいていけるようになる そして「いい母」をやるよりも「自由に羽ばたいている母」の方が、子どもは何千倍も自由で身軽で幸せではなかろうか?

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