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​わたしの、ストーリー。

​はじまりは、福島。

​慈(ちか)のライフストーリー 第1章

​ものごとの始まり。

進学校に通うギャル

ダンスに夢中

ギャルを謳歌
自分の好きを追い求める

ホステスは天職

No1ホステス

福島にはすべてがあった

フリーペーパー編集者

広告代理店勤務

​コピーライター

吾妻山の美しく見える阿武隈川のほとりで、教師の父と、着付け教室を営む母の長女として生まれました。家族構成は、父母、戦争帰りの義祖父(父の叔父)と母方の祖母と2人の妹たちです。普通だと思っていたけれど、振り返ると多様性に富んだ家庭だったと思います。好きだったのは和太鼓と国語とセーラーヴィーナス。和太鼓では、地域の大会などにも多数出場しました。

県内有数の進学校に入学するも、心の中は「ギャルなライフスタイル」と「ダンス」でいっぱいでした。ありのままの自分で自由に表現するカッコ良さを追い求め、その心地よさを知った時期。「親に敷かれたレールの上は歩かない!」と決めたのも、この頃です。

同じ高校に通う同級生の99.9%が進学する中、夜のクラブでホステスとして働き始めました。経験豊かなお客様のライフストーリーを聴くのが大好きでした。「女性は笑顔で社会を幸せにできる」という確信を経たのもこの頃。NO.1になるまでしっかり2年働いて退社しました。

ファッションが好きだったことと、国語が好きだったことから、編集者として広告代理店に転職しました。営業や取材で出会う人たちの、あたたかさとセンスに胸を踊らせた日々でした。福島という足元にあった、たくさんの宝物に気付かされ、その魅力を伝えることに没頭した7年間でした。コピーライティングや、ブランディングのいろははこの時に叩き込まれました。

​人生創造的破壊。

(ちか)のライフストーリー 第2章

人生のどん底を経験
原発事故で被災

フリーランス起業のその後

決死の24時間生放送

社会と自分
活動家として始動

Peach Heart共同代表

​全国に仲間ができる

まさかの北海道移住

NHK FM「ココロウタ」
​ピラティスインストラクター

​講演活動

恋愛や合コン、今季のワンピースのデザインを楽しみに、大好きな仕事に恵まれて充実した日々を送っていました。原発や政治のことは、どこか遠くの話だと思っていまいた。それがこんな形で人生に降りかかるとは、全く想像していませんでした。フリーランスとして独立起業し、ラジオパーソナリティやレポーターとしても楽しく活躍していた頃。原発が爆発したその日、私は死を覚悟してマイクに向かいました。余震と不安の続く中での、24時間生放送は私にとって、大きな人生の分かれ道でした。

「子どもを産んでおけばよかった」事故が起こった夜に、湧き上がった感情です。避難したいという気持ちもありましたが、子なし・独身の女性への支援はほとんどありませんでした。放射能の捉え方の違いやストレスで、コミュニティには分断が広がり、それを恐れて人々は本音で話せなくなっていきました。原発事故が、生きづらさを浮き彫りにしました。仲間とともに声を上げ、活動を始めました。この活動を通して、全国各地の「社会活動」に関わるたくさんの仲間たちと出会っていきます。社会と自分との間で揺れ動いていた時期。

28年間一度も出たことのなかった故郷・福島を離れ、北海道で暮らすことを決意しました。ピラティスのインストラクターの資格をとって移住。お世話になった地元の方々に頭を下げ、福島での仕事もすべて手放しました。家族はもちろん、友だちもほとんどいない北の大地での新たな一歩。いつか子どもを産みたい。私自身が心から安心できる場所で暮らしたい。その姿を通して仲間に伝えたい。2011年のクリスマスイブのことでした。
ご縁に恵まれ、札幌ではNHKをはじめとするいくつかの放送局で、ラジオ番組を担当させていただきました。震災支援にまつわる活動の講演で全国を回っていたこともありました。

札幌島牧、新しい自分

(ちか)のライフストーリー 第3章

​トライ&エラーの日々

結婚・出産・多拠点居住

という暮らし方

答えと未来はいつも
自分のなかに

​親子で育つ幼稚園入園

北海道子育て世代会議共同代表へ

自分を満たすことから
世界を平和にする

​四季と自分、仲間を感じる。

同じく福島を故郷とする男性と結婚、2人の子どもに恵まれました。福島のように美しい自然環境と、持続可能な営みの中で子育てをしたいと考え、北海道の島牧村(しままきむら)に家を構えました。札幌と島牧村の2拠点生活です。仲間たちと、木を切って田んぼを開墾して、DIYで家をなおし、食べ物を分かち合い、仕事をシェアする。これからの暮らし方を実践研究する「小さな村の広告代理店 合同会社番-TSUGAI-」を創業。子育てをしながら、トライ&エラーの毎日でした。

娘の幼稚園探しをきっかけに「札幌トモエ幼稚園」に入園。親も一緒に通い成長することを意図した幼稚園。子育てを通して「自分とは一体何か?」「私はどう生きたいのか?」「どんな社会を作りたいのか?」に向き合う。過去やお金、パートナーシップなどへの思い込みを昇華していった頃。そして、福島の原発事故からもうすぐ10年を迎えようとしていた2020年8月。島牧村の隣、寿都町の町長が「核のゴミを受け入れるための調査に応募する」というニュースが流れました。北海道で出会った仲間たちとともに、改めて「新しい選択肢」と「新しい未来」を作る活動をはじめました。

現在は夫と2人の子どもと4人暮らし。海も山もある島牧村、ネオンのある都会札幌との二拠点生活を満喫しています。

 

コンサルタントとして、クライアントさんの人生に寄り添う仕事を楽しむ傍、春は山で山菜をとり、夏は毎日家の前の海で泳ぎ、秋は鮭を捌き、冬は薪ストーブの前で本を読む暮らしを営んでいます。好きな時に、好きな家族や仲間と、楽しいことをして過ごすシンプルな日々。それは、これまでの人生を通して「『自分を満たすこと』が幸せで平和な世界を創造する一番の近道だ」ということに気付いたからでした。答えはいつも外側にはありませんでした。進む道も、幸せな未来も、全部自分の内側にありました。これが「マーシフルマインド」です。

まだ私も道の途中です。 きっとこれからも変化し続けることでしょう。名前の通り「慈しむこと=自分の内側を満たすことから、平和な世界を創っていくこと」という価値観を大切にしながら。仲間たちとともに。