P1110245LL.jpg

​これまでと、
これから。

人にはひとりひとり、他の誰とも違うその人だけの人生の物語があります。

これは私、宍戸 慈のライフストーリーです。

あなたのライフストーリーも聴かせてください。

私とあなたの物語が交わって共鳴して

あらたな物語を紡いでいくことができたら

そこから、きっともっと軽やかで楽しい未来がはじまると思うのです。

​福島

​ししど ちか のライフストーリー 第1章

福島生まれ、福島育ち

それぞれの家族と美しい自然環境に囲まれて

吾妻山の美しく見える阿武隈川のほとりで、教師の父と、着付け教室を営む母の長女として生まれました。家族構成は、戦争帰りの義祖父(父の叔父)と母方の祖母と2人の妹たちです。普通だど思っていたけれど、振り返ると多様性に富んだ家庭だったと思います。特技は和太鼓と国語。和太鼓では、地域の大会などにも多数出場しました。

進学校に通うギャル

ダンスに夢中・ギャルを謳歌

​自分の好きを追い求める

県内有数の進学校に入学するも、心の中は「ギャルなライフスタイル」と「ダンス」でいっぱいでした。ありのままの自分で自由に表現するカッコ良さを追い求め、その心地よさを知った時期。「引かれたレールの上は歩かない!」と決めたのも、この頃です。

ホステスは天職

No1ホステス

 

他人の人生を知る面白さと、その価値を発見

同じ高校に通う同級生の99.9%が進学する中、夜のクラブでホステスとして働き始めました。経験豊かなお客様のライフストーリーを聴くのが大好きでした。「女性は笑顔で社会を幸せにできる」という確信を経たのもこの頃。しっかり2年働いて退社しました。

福島にはすべてがあった

フリーペーパー編集者

 

広告代理店勤務

ファッションが好きだったことと、文章力には多少の自信があったことから、編集者として広告代理店に転職。営業や取材で出会う人たちの、あたたかさとセンスに胸を踊らせた日々でした。足元にあったたくさんの宝物に気付かされ、地元の魅力を伝えることに7年間没頭しました。

338170_243443382379927_785805946_o.jpg
522513_300760896661707_2146654407_n.jpg

被災・挫折・そして希望

​ししど ちか のライフストーリー 第2章

東日本大震災、原発事故で被災

死を覚悟した24時間生放送

それまでの私は恋愛や合コン、今季のワンピースのデザインを楽しみに、大好きな仕事に恵まれて充実した日々を送っていました。原発や政治のことは、どこか遠くの話だと思っていまいた。それがこんな形で人生に降りかかるとは、全く想像していませんでした。原発が爆発したその日、私は死を覚悟してマイクに向かいました。余震と不安の続く中での、24時間生放送は私にとって、大きな人生の分かれ道でした。

活動家として始動

団体設立、Peach Heart共同代表へ

「子どもを産んでおけばよかった」事故が起こった夜に、湧き上がった感情です。避難したいという気持ちもありましたが、子なし・独身の女性への支援はほとんどありませんでした。放射能の捉え方の違いやストレスで、コミュニティには分断が広がり、それを恐れて人々は本音で話せなくなっていきました。法律や制度の歪みもあちらこちらに現れていました。原発事故が、社会のあらゆる生きずらさを浮き彫りにしました。大好きな故郷をなんとかしたいと、必死の思いで仲間とともに声を上げ、活動を始めました。

まさかの北海道移住

新しい暮らしを作る

NHK北海道FM

「ココロウタ」

​ハイブリッドラジオ番組
「カラカラソワカ」

28年間一度も出たことのなかった故郷・福島を離れ、北海道で暮らすことを決意しました。大好きだった仕事も辞めました。家族はもちろん、友だちもほとんどいない北の大地です。不安もありましたが、「生きてさえいればきっとなんとかなる!」そう言い聞かせました。それに何より、いつか子どもを産むために、私自身が100%安心できる場所で暮らしたかったのです。2011年のクリスマスイブのことでした。
札幌では、全国の避難者と福島を繋ぐ、ラジオ番組のパーソナリティとしても活動を続けました。

 
IMG_0744.jpeg
429378_3883002801224_1745335690_n.jpg
420798_326000780832462_1274307451_n.jpg
254DC29E-DDAE-4959-9B92-1FFCB103441F.jpe

母として、女性として、人として

​ししど ちか のライフストーリー 第3章

未来を作る暮らし

結婚・出産・多拠点居住という暮らし方

同じく福島を故郷とする男性と結婚、二人の子どもに恵まれました。福島のように美しい自然環境と、持続可能な営みの中で子育てをしたいと考え、北海道の島牧村(しままきむら)に家を構えました。幸い、多くの素敵な仲間と出会い、札幌と島牧村の二つの拠点で「女性のためのライフスタイル活動家」としての人生を歩みはじめました。

​原発問題と本気で向き合うと覚悟

北海道子育て世代会議を設立。共同代表へ

私の人生に大きな影響を与えた、福島の原発事故からもうすぐ10年を迎えようとしていた2020年8月。第二の故郷として、暮らしを築いてきた島牧村(しままきむら)の隣、寿都町(すっつちょう)の町長が「核のゴミを受け入れるための調査に応募する」というニュースが流れました。

「どこに行っても逃げられない」日本にある原発の数や、核のゴミの問題を考えれば当然なことですが、そのことを改められて突きつけられた想いでした。同時に、これは私にとってライフワークとして向き合い続けなければいけない問題なのだと、覚悟するきっかけにもなりました。

北海道で出会った仲間たちとともに、改めて「新しい選択肢」と「新しい未来」を作るための活動をはじめました。


なお、島牧村はその後、「核抜き条例」という核のゴミを持ち込ませないという、日本で初めてとなる条例を制定しました。

 
12990626693553.jpg
10460617_738369256243862_273864236815054
11377374_1020036001354962_54581842037693